ぼくが生きることは「神様のお手伝い」なんだなっていうと、なんだか大げさに聞こえるけれど、本気でそう思っているんだよね。
神様って言っても、宗教の話をするわけではなくて「自分自身も『神様』なんだよ。」っていうところから始まる話です。
誰もが生まれたときには、自我を持っていなくて、神様そのものでした。だんだんと、この世界で生きるための生命としての自我を持つようになります。
これから話すことは、ぼく自身の経験です。ぼくが幼い頃は、霊的(?)なものが見え、聞こえ、感じることが日常である世界を生きていました。
ぼくが3歳くらいのときにふと、「自分が見ている世界がたったひとつの世界であり、同時にすべての世界で、自分の命が消えると同時に消えてしまう世界なんだということに気づいて、とても怖いことだ。」と思いました。
ぼくの霊的体験は、20代半ばくらいで、だんだんと消えていきました。その頃から、自分を殺して生きることを(これも無自覚に)選択してきました。つまり「頑張る」「努力する」を懸命にやっていたわけです。日々思うことは「まだまだ」「足りない」「(できなくて)申し訳ない」といったことばかりでした。
それが、苦しくてたまらなく、限界が見えてきたのは、50代半ばでした。実に30数年も「頑張る」をやってきたわけです。「なんとか変わりたい。自分を変えたい。」ともがいても、またそれも「頑張る」に縛られて、苦しいわけです。次第に自分の内面を覗き見ると、本当に血の海が見えるような恐ろしい感覚でした。
藁にもすがる思いで、ヒーリングとカウンセリングを受けました。そのヒーラーの方はチャクラが見える方で、ぼくのチャクラに色がないことに愕然としたそうです。つまり、エネルギーがまったくない状態だったそうです。特にどこかはぼくはわかりませんが、「自分がない。真っ黒だ。」と言われました。
何を言われたのか、そのときはまったく理解できませんでしたが、その後起きた出来事は、奇跡の連続でした。それから、天然石ガラス、水晶などの石に出会い、パワーを受け取ったことで、意識が変わりました。
つい最近、縁があって、アクセスバーズに出会いました。これも、意味があると思っています。今日、ekuboさんとアクセスバーズについて、少し話をして、なんだか、意識ではないところでつながってきたような気がしています。ぼくもekuboさんも、これから「確かなものが、伝えられる。」そういうイメージが生まれました。
神様のお手伝いをします。「愛と感謝」です。