ぼくは、今から5年くらい前までは、いつも「わけもなく、不安」「なんとなく不安」という、精神状態にずっと悩まされていました。
ある意味、その精神状態があるからこそ、がんばれたんだって思っていたので、その不安を打ち消すための行動を必死でやっていたという感じです。
そして、その状態を克服することで、その先に行ける、乗り越えていくんだという意識を持っていたと思います。
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それでも、ぼく自身は、いつまでたっても、とても苦しかったし、その苦しみから抜けたくて、苦しむ自分を変えたいと思い、もがけばもがくほど、不安が、ますます大きくなっていきました。なんとかしたい、変わりたいという思いだけが強くなっていきました。
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今、わかることは、人は変わろうとしているときに、誰もが、わけもなく不安になるということです。
不安を感じたとき、脳はその理由を作り出します。
それは、いかにも、もっともらしい理由です。
こうだから、こうすれば、そして時にはまったく関係ない人のせい、何かのせいになっているわけです。
その理由があることで、自分を変える代わりに、まわりを変えようとします。
この状態って、ここまで読んだ方の中には、ピン!とくる方もあると思うんですが、完全に「他人軸」なんですね。
無意識にそう悟られない行動をしているから、他人軸でいることに、まわりも気が付かないし、自分自身でも気が付けないわけです。
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ぼくの場合、その後、瞑想をしたり、スピリチュアルなさまざまな本を読む中で、その「わけもわからない不安」は、手放していいし、むしろ手放したほうがいいんだ。ということにたどり着くことができました。
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人って、できることは自然にやっているわけです。
だから、がんばるってあまり意味がないんですね。
単に人から見て、がんばってるように見えるというだけのことですから。
努力というのも、同じような意味で、人から見た努力と、自分で思う努力とはちがうわけです。
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今は、がんばることをやめました。
そのほうが生きているって感じます。
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