本日、無事第1号のまぐまぐ!メルマガを発行することができました!!
早速読んでくれた方もいるようです。こんなに素早い反応があると、うれしいですね。
ぼくのメルマガは、まぐまぐ!のぼくのページから、登録できますので、よろしくお願いします。
だいたいここに書いた内容と同じなんですけど、もう少し、書き加えたり、書き直したり、削ったりもしています。今後は、もしかしたら、書いていくうちにメルマガは、こことまったく違う内容に変わってしまうっていうこともあるかも知れません。
では、第2号の内容について、書いていきますね(予定原稿)。
「人生の砂時計は存在していなかった!!」
こんにちは!みゆうです。
ぼくは、長い間人生の時間って、砂時計が落ちるみたいに、だんだん残り時間が減っていく。そんなイメージを持っていました。
というか、そういうイメージで捉えられるメッセージを、いろんな場面で、いろんな人から、たくさん受けてきたような気がするんですね。
それって、砂が落ちきったら、最後には「死」がくるってことですよね。
死神が吹き消す「ろうそくの火」っていうのも、ありますね。そういうイメージ。
そして、老人が残り少ない人生でお迎えがくるのを待っているっていうような。
ぼくが年齢を重ねてみて、感じているのは、すごく今を生きている実感なんですよ(現在61歳です)。
こうして文章を書いていても、ぼくの中に今どんどん生まれてくるものを感じています。
こういうことを、ちゃんと上の年代の人が、新しい年代の人に伝えておかないといけないなって思ったんです。
だって、なんだか社会や経済がだめになると、それだけで将来に希望がないみたいなニュースとか、話が出てきがちですよね。マスコミは特にマイナスオーラ全開で攻めてきます。次から次にニュースとなる出来事が流れてきます。そこに意識を向ける必要はまったくありません。
社会で起こっていることは、これまでも、いろいろな歴史が繰り返されていて、決して今が落ち込んでいるということではないんです。変化のひとつひとつが投影されているだけなんです。むしろ、現実はいい方向に動いています。
人生は変化の連続です。体力は衰えたり、病気にもなったりします。それも人生の体験の一つです。
その中でも、生まれてくるものがある。そこに目を向けるかどうかで、また違ってきます。
今恐れられている新型コロナのことにしても、もう誰もが、新型コロナ憎し、収束しなければならないって意識になっていますよね。身近な人が亡くなられた方にはもちろん、それは憎しなんですが、ウィルスそのものはただ存在するものであって、善でも悪でもないんです。
ウィルスの話は今の時点でこれ以上掘り下げることはしませんが、今、体験していることを受け止めて、もっと自分の意識に目を向けると、生きていることの意味、重みが感じられると思います。
砂時計はくるっと回せば、また時を刻んで落ち始めますよね。
人生は一回きりです。
ただ、そこにあるのは、砂時計なんかじゃなかったって、それだけを伝えたくて、この文章を書いています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この砂時計の写真は、写真ACのサイトからダウンロードした「浜辺の砂時計」です。
最近のコメント